ラブコール
半年に一度ぐらいブログを書くたびに、書き出しで手が止まることに定評があります。すみだです。仕方がないのでお酒を入れました。
風呂に入っていると、いろいろ小難しいことを考えたりしますよね。
きっかけは分からないけれど、気づいたときにはとても深く、物思いにふけっていたりします。
内容もバラバラなので、改めて文字にしようとすると難しいものなのですが、その中でもたびたび考えていることは、有り体に言って人、人間のことが多いです。
早い話が、人間が好きなんでしょうね。
そしてそれをこうして文字に起こすまでするということは、これを読んでくれた誰かに共感してもらったり、思わぬ気づきを与えたりしたい思いがどこかにあるからです。もちろん、文字に起こすことで頭の中を整理したい気持ちもありますが、それぐらいなにか…他人とお互いに関わっていたいというタイプなんだと思います。
そんな自分がずっと考えているのが、TwitterというSNSであぶり出されてくる、人のきれいな側面と、そして情けなく、しょうもない側面です。
もう10年近くTwitterを使っているポジティブな一つの理由として、普通にリアルの世界だけで生きていては巡り会えなかったであろう、素敵な人と知り合えることです。
朝まで飲み明かしても話が尽きないような友人、たいした共通話題もないのに半日近く語り合っていても飽きない友人、お互いの意見が違ってもそれを否定し合うことなく受け入れられる友人、そういった得がたい人を幾人も知ることができました。
彼らは総じて、どんな状況にあっても、自然に自分を成長させていける人でした。自分を取り巻く環境にあわせて、自分を崩さずに、それでいて自分が変われる人でありました。
彼らは自分にとって、親愛なる友人であり、尊敬する隣人でもあります。
「そんな人たちと出会わせてくれた」この一点において、Twitterを使ってきたことのメリットはデメリットを覆い隠して余りあります。
ホントはこの後に、前に進むことをやめてしまった情けない人のことや、炎上にかこつけて見えてくる、フォロワーのしょうもなさを書くつもりでした。
あんまりしょうもないのに、本人は自分が立派だと思いこんでいる様があまりに滑稽で腹立たしくて、そんなやるせなさをここにつらつらとこぼそうかと思っていました。
ですが、Twitterを通して出会えた素敵な人たちのことを書いてたら、そんな気が失せてきちゃいましたので、もうここまでで充分でしょう。尻切れトンボになっちゃったので、続きが聞きたければ通話にでも呼んでください。
これを見て呼んでくるような人であれば、おそらくわたしはあなたに閉ざす口を持たないだろうと思います。
それでは、また、ブログを書こうと筆を執る日まで。
”Those Were The Days”を聴きながら。すみだでした。