ヴァーチャル・リアリティ

1ヶ月以上記事更新が空いてしまいました。すみだです。

この記事を読みに来るような人の99割はご存じだと思いますが、この1ヶ月は、

ずっっっっとVRChatを遊んでいました。

ブログを書こう、という気持ちはこの間つねに持ち続けていたのですが、

「この驚きをいかに言語化するか」がなかなか明確にならず、気づいたらVRChatにインして

時間が過ぎていたというわけです。だいぶ言い訳がましいですね。

 

そのようなわけで、今回は大きく三つの話題に絞って書いていきたいです。

●「どうしてVR・VRChatに手を出したのか」

●「VRChatを始めてみて、何が驚きだったか」

●「他人が始める姿を見て、何を感じたか」

では、まいりましょう。

 

 

●「どうしてVR・VRChatに手を出したのか」

 「ブイアール」という言葉の響き、どこか格好良くないですか?

という理由もある、と思う。

あるいは。

有史以来、人間は、「人間が人間である以上超えられない枷」を、技術を生み出すことで

いくつも超えてきました。

長距離を泳げなければ、船というものを作って海を渡りました。

空を飛べなければ、飛行機というものを作って空を渡りました。

声が遠くに届かなければ、手紙というものを作り、果てには電話やメールを生みました。

VRという技術は、人間の肉体そのものという枷にさえ、手をかけています。

まだまだこれからの技術ですが、その未知の可能性にきらめきを感じているから

という理由もあるでしょう。

 

ですが、一番大きな理由は、「VRChatを遊んでいる人がみんな、とても楽しそうだったから」

という理由にほかなりません。

VRChatはその名の通り、VRでチャットするだけのゲームです。極端に言ってしまえば、

アバターとワールドがついただけのDiscordみたいなものです。

それなのに、タイムラインで見かけるVRCプレイヤーの様子は、驚くほどに楽しそうなのです。

ネット世界とボなんとかに毒されて、すべての言説はまず疑ってかかるほどにスレた人間が

見ても、「これは本心だろうな」と思える楽しそうな様子。

見るたび、羨ましいと思うと同時に、自分の感覚との不一致をとても感じていました。

 

「多少没入感があるといえ、所詮画面の向こうで、それも普通に中身が男の美少女アバター

見て、話すだけで、こんなにも楽しそうになるのか?おかしくないか?」

 

楽しそうな様子と自分の感覚との不一致は、抗いがたい好奇心を呼び起こします。

 "Curiosity killed the cat."

こうして好奇心を持ってしまったところに、いささかばかりに悪質な、他人を沼に沈めて

ニコニコしているようなとあるVRCプレイヤーが、

「自分がPCパーツをアップグレードして余ったグラボや電源を寄贈するから、

それでPCスペックを強くしてやってみるといい」と9万円近いパーツを送ってくれました。

そこまでしてもらって、「やっぱりVRChatやりません」というのは寝覚めが悪い。

であればやってみようと、VR機器とオプションパーツを買ったのです。

これが、すべての始まりでした。

 

ちなみに前掲のVRCプレイヤーは、VR機器とPCパーツの価格に尻込みするぼくを見て、

「外堀を埋めれば罪悪感も働いて堕ちるだろう」と読んでパーツを送っていました。

善意はありがたいが、嗚呼、なんと邪悪なことか。

 

 

●「VRChatを始めてみて、何が驚きだったか」

VR機器を注文したはいいものの、届くまでにはラグがありましたので、この間に

VRChatをデスクトップモード(VR機器なしでも遊べるモード)で初体験しました。

驚きました。

現実の人が入ったアバターが動き、案内用のワールドがあり、きれいなワールドがあり、

買えば自分が着られる多種多様のアバターが存在している(しかも改変可)。

それまで知識としては持っていた内容であっても、肌身で感じると全く違う。

そして、現実世界と違い、人と人との距離感が初対面でも明らかに近く、警戒心が薄い。

アバターという仮面をつけるだけで、人間はこれほど好ましい方向に変わるのかと。

 

VR機器が届いて、いざVRモードでVRChatに飛び込んでみると、

そこには文字通り別世界がありました。

自分が腕を動かせば腕が動く、自分が上を見上げれば空が見えるという、

たったそれだけのことなんですが、それでも感じ入るものがありました。

そりゃあ、かわいくなりたくなるよね。あとはお察しの通りさ。

 

 

●「他人が始める姿を見て、何を感じたか」

ぼくがVRChatを始めてものすごく楽しんでいると、Twitterなどでその様子を見て、

興味を持ってくれる人が少しずつあらわれてきました。

そしてVR機器を買ってくれた人には、ぼくがそうしてもらったように、

はじめてのVRChatを案内したり、フレンドと引き合わせたりしました。

 

案内した人の反応や、その後を見守ることは、ぼくが当時感じたことが普遍的なものなのか、

それともぼくがちょっと変わっていたのかを判断するいい材料になります。

そうして見てみると、「やっぱりみんな同じなんだな」ということを感じました。

 

ぼくが最初案内してくれた人たちに感じたようなやわらかさが、

今度はぼくから新しい人たちに伝わり、彼らもまた、アバターを手にすることで、

現実世界で自分を守るためにつけていた心の殻を外していくのです。

気がつけばそこには、年齢も性別も関係ない、ただただフラットで、どこかふんわりと

温かいコミュニティが形作られていました。

それでいて、みんなが「Kawaii」のために日夜努力しているので、停滞したコミュニティでもない。

この居心地がたまらないんです。

 

あんなスラムみたいなゲームで年がら年中罵詈雑言を飛ばしていた人たちとは思えない。

けど、それがいい。

 

 

大まか、こんなところでしょうか。

一ヶ月分語りたいことを詰め込んだので、このブログで過去一に多い文章量に

なったかもしれません。

でも、どんなに語ったとしても、百聞は一見にしかずです。

興味を持ったなら、勇気を出して声をかけてみてください。

あなたを、メス堕ちきらめいて興味深い世界へとご案内します。

 

ほな、また…。

趣味に傾ける熱

金土日とブログをサボってました。すみだです。

忙しかったんです、ご容赦ください。

 

昨日は一日中、雀荘すみだを開店して麻雀打ってましたが、その中で思うところがありました。

内省的な話になってしまいますが、少しばかりお付き合いいただければ。

別にメンヘラってるわけじゃなくて、単なる思考の整理なので、サラッと呼んでください。

 

さて。 

ぼくの趣味は、平均と比べても多いほうなのではないかと思います。

麻雀、競馬、やきうにビリヤード、そのほか身体を動かす系もわりと好きです。

その代わり…といってはなんですが、

ぼくの弱い所は、「それらを徹底的に煮詰めるまでに至れない」所にあると思っています。

登山に例えるならば、七合目ぐらいまではすんなり登るのですが、登頂はせずに、

七合目で足を止めてしまうといったところでしょうか。

「絶対に登頂してやる」というようなギラついた熱意がありません。

こんな例が、自分の趣味を振り返ると枚挙にいとまがないのです。

 

例えばボーダーブレイクでは、身近にエースボーダーもたくさんいて、

その気になれば自分もその仲間入りできるだけの環境は整っていたと思います。

ですが、そうはならなかったし、ランクだって最後まで上げきらなかった。

例えば麻雀では、やはり同じように自分より上手い人も身近にいる(いた)のに、

そこで「一歩踏み出してさらに上達してやろう」という熱がイマイチありません。

だから昨日ボロ負けしたんだと思いますが、ただ凹んだだけ。

昔をたどれば、野球部に誘われた時も、「部活」というガツガツ感に尻込みしたのと、

親から交換条件として提示された「学年30位/200人以内」という条件がダルくて、

結局入らずじまい。

 

およそ他人と競うタイプの遊戯やスポーツにおいて如実に表れていますが、

それにしても、「徹底的に突き詰める」ということがどうも苦手です。

自分がガツガツした姿であるのが、どこか居心地悪く感じる節があります。

 

ボーダーブレイクのエースボーダー決定戦や、スカッドの頂上決戦の時の、

知り合いの「本気の目」は今でも脳裏に焼きついていて、

それが一人じゃなく、参加する知り合いみんなが一様にその目をしていたことを、

昨日のことのようにはっきりと覚えています。

あの目は、ぼくにとって憧れでもありますが、「俺にあの目はできない」という諦め…

ではありませんが、自然とそう思います。当時も、今もね。

麻雀を打っていて、ぼく以外の人が、ぼくより遥かに多くの情報を卓上に見ている目にも、

あれほどではありませんが、同じような気持ちを抱くことがあります。

 

 

こう書きながらも、ぼく自身、この性格?習性?は悪いことばかりでもないとも思っています。

一言で言えば、「要領がいい」というやつですね。

新しい趣味に手を出す時や、何かを知ろうとするときに、大枠をざっと掴みやすいのです。

様々な場面でこれが役に立っている実感もあります。趣味以外でもね。

 

あくまでも、「隣の芝生は青い」と観念して、割り切っていくべきなんでしょうかね。

でも、しっかり突き詰められる熱量があれば…と思うことも前掲のとおり多々あるので、

そうありたくもありつつ。

うーん、悩ましい。

どなたか、いい案や経験談などあれば、ぜひ教えてください。

 

ほな、また…。

 

 

 

おしごとのこと。

「記事を書く」ボタンを押しても押しても編集画面が表示されない、

そういうことに苛立ちを感じるんだ。にんげんだもの。どうも、すみだです。

今日は日帰り出張で長野まで行っていたので、どうも疲れて文章なんて書いてられない…

はずだったのですが、帰宅してみると普段の日以上に暇で、筆を執りました。

 

実際のところ、とりとめのない内容だったとしても、雑記を残しておくということは、

後々になって振り返るときにちょうどいい記録になりますから、書かないよりは良いのです。

なんて、自分の背中を押すようなことを意味もなく並べてみたり。

 

今日はただ仕事をして帰ってきただけなので、折角ですし、仕事の話でもしましょう。

ぼくが前職でかなりのハードワークをやってたのは、結構多くの人がご存じかと思います。

「朝起きて兵庫に行って、昼過ぎに終えて、その足で飛んで札幌入りして深夜作業」とか、

石垣島で3泊4日泊まり込み24時間態勢で勤務(なお風邪をひく)」とか、

まる2年しかいなかったのに、それはもう話のネタが尽きないほどいろいろありました。

 

辞めてやる!つってそこを飛び出して、今の会社に転職して1年少々が経ちますが、

1年経ってみて、入った当初の印象が間違ってたこともあれば、そうでないこともあります。

そのあたりの現時点の正直な気持ちを、少しばかり文字にしたためてみます。

 

がっつりまとめて言うのであれば、

「制度は良く暮らしやすいが、前職ほど仕事への熱意や充実感も持てない」

といったところかな、と思います。

 

間違いなく、前職より制度面やワークライフバランスは劇的に改善しました。

丁寧にやるほど損をする、出張先での日当制度からも解放されましたし、

土曜日の朝7時に客からの電話で起こされることもなくなりました。

残業代はきっちり付きますし、通勤時間も短くなりました。

他にもいろいろありますが、とにかく暮らしはぐっと落ち着きました。

 

一方で、客との距離が前職に比べて離れてしまったことで、直接感謝を貰う機会が減りました。

人から感謝してもらえることがエンジンの燃料になるタイプの人間なので、

これは地味に仕事へのモチベーションを奪ってしまうことにもなっています。

 

もうひとつ、今の職場は、働いている人同士の会話が、本当に少ない。

オフィスがものすごく静かで、雑談のひとつもほとんどありません。

入社してオフィスに入った瞬間に、あんまり静かでびっくりしたのを今でも覚えています。

これでは人間関係も作りにくいし、まして「分からない所を質問」なんて、しづらいにも

ほどがあるのですが、新卒入社のおじさんたちが中枢なので、静かすぎることが

当たり前になっていて、あまり気にならないみたいです。

今の職場は中途の定着率が低いらしいのですが、結構な原因はそこだろうよ、と思ったり。

 

おじさんたちから聞かされるところによると、ぼくが年齢的にも入社時期的にも

中途一番手みたいなところがあるので、中途なりに改善点を指摘したり、

雰囲気を少しずつ変えたりしていくことを期待されているらしいです。

まあ…なかなかの重荷ではあるのですが、このままだと、この会社、

じわじわと沈んでいきそうですし?なにより、今のビジネスライクな雰囲気きらいだし?

多少はやってやろうじゃないの、貰ってる金のぶんまではね。という気持ち。

 

愚痴っぽく見せかけての決意表明みたいになっちゃった。

まあ、後から見返すにもちょうどいいんじゃないでしょうか。

「あの頃は、まだ希望があったんだな…ハハ……」になるかもしれないし、

「あの頃から、考えてたことは間違ってなかった!」になるかもしれませんが、

それは神のみぞ知るということで。

 

ほな、また…。

 

人と人がつながるということ

すみだです。

昨日久方ぶりに物申す系ブログを書いたところ、思わぬ反応の良さに気を良くしました。

…が、年がら年中あんな熱量でブログを書けるほど、私は気力豊かではありません。

なにより、あんなものを毎日のように書いていたら、それこそ性根の歪んだ人間ですよ。

てなわけで、今日はぼくが尊敬する人のことでも書いていきましょう。

といっても、特定の個人ではないので、ご安心を。

 

以前もこのブログで書いたことがあったような気がするのですが、ぼくは歴史上の人物で

尊敬している人物はいません。

何故ってそれは簡単な理由で、「自分が会ったことがなく、人となりが分からないから」です。

 ひっくり返すとお分かりになると思いますが、自分が会った人で、その人となりを

肌で感じた人であれば、尊敬の念を抱くことが往々にしてあります。

それは、「自分には出来ない」だとか、「自分はそこが苦手だ」と感じることを、

自然にやっている他者を見かけたときに湧いてくるものです。

  

例えば、聞き上手な人であったり、話の要点をまとめるのが上手い人。

ぼくと喋ったことのある人であればよくご存じでしょうが、ぼくは基本的に自分がクソ喋るし、

話の要点はスリムにまとまってないので話が長くなりがちです。

もちろん、クソ喋るのも、話が長いのも、状況によってはいい方向に働きますし、

基本的にあまり喋らない人が多いTwitter界隈だと、リアルで会った時にすごく役立ちます。

が、それはそれ。状況に合わせてスタイルチェンジしたいとも思うのです。

  

あるいは、「友人としての諫言」をストレートにできる人。

これはちょっと特殊で、ぼくはわりとこれを意識的にやる側なのですが、

一方でこれをぼくにぶつけてくる人はほとんどいません。

 

大事なのは、「非難・批判」ではなく、「諫言」である、ということです。

ぼくは中国史を専攻していましたので、当時の皇帝や権力者に対する配下の諫言を

いくつか知っていますが、諫言というものは、行う側にも相当な勇気を必要とし、

また受ける側にも度量が求められる行為です。

 

今では当時とは違い、諫言を容れられなかったからといって命を取られることは

ありませんが、それでも、

「この言葉を投げかけて嫌われることはないだろう」という自信と、

「この言葉を投げても相手が聞き入れてくれるだろう」という信頼の両方が必要です。

そのハードルを超えてまで投げかけてくれる人を、ぼくは軽んじませんし、

むしろ尊敬します。

もしあなたの周りにもそんな人がいるのであれば、大事にしたほうが良いと思うのです。

 

ややもって長くなってきてしまったので、最後にひとつを挙げておしまいとします。

最後は、「好きでもない目標に向けて自然に頑張れる人」です。

ぼくは興味を持ったことに対してはすんなり前進できると自負していますし、

特に強烈に刺さったものに対しては、エンジン全開で突き進むタイプです。

が、興味が一切ないものについては、全くと言っていいほど推進力がありません。

「やらなきゃならない」になるまでは、「やったほうがいい」の間は、

のらりくらりと逃げ腰でいます。(だから浪人した説が濃厚です)

こんな人間なので、「やったほうがいい」レベルの目標に対して自然に頑張れる人は、

常日頃からすごいなあ、真似できないなあ、と思って見ています。

  

さて、自分が苦手なこと・できないことを自然にやっている人をぼくは尊敬しますが、

ぼくとて、指をくわえたままのんべんだらりとしているつもりはありません。

そのうちお前の良い所を見て盗んでレベルアップしてやるからな、と思っています。

 

このブログを読んでくれたあなたが、ぼくのことをどう感じているかは分かりませんが、

ぼくに対して「すごいなあ」だとか、「俺には出来ないなあ」と思っていることが

もしあれば、あなたもぼくを見て好きに盗んでいってください。

人間と人間が相互に作用し合うことの醍醐味って、こういうとこじゃないでしょうか。

 

ほな、また…。

 

 

引っかかること

あんまりきれいなブログばかり書いていると、「あいつどうしたんだ?」とさえ思われそうなので、たまには物申す系ブログを書きます。すみだです。

 

先日のアメリカ大統領選は、史上まれに見る接戦だったと言われています。

4年前にトランプ現大統領が当選したときはこれほど盛り上がっていた記憶はありませんので、

実際にその通り、今回は大接戦だったということなのでしょう。

そしてこの大統領選というイベントは、タイムラインを構成する各人の情報リテラシー

かつてないほど如実に表してくれるイベントでもありました。

 

というのも、今回の大統領選は、怪しいデマがとにかく多く飛び交ったためです。

投票率が100%を超えただの、不自然な票の伸びがあっただの…。

ファクトチェックによって、これらの話はほぼ全て、誤りであると断定されています。

いや、ファクトチェックがなくとも、「そんなことホントにあるか???」と、

直感的に察するようなレベルのお粗末な話です。

 

にもかかわらず、こうしたしょうもない話を一見して信じる人の多いこと…。

見出しだけを見て、自分の頭で何の吟味も行わずに信じ込んでいることの証左でしょう。

しかも、こういう人たちに限って、

・マスコミはデマばかりを流している

・マスコミが情報/印象操作をし、意図的に事実を報じなかったり捻じ曲げる

マスコミが報じないことこそが事実である

といった言説を信じていたり、あるいは声高に主張していたりします。

 

これに絡め取られているからなのか、マスコミが報じていないことであれば、

どんな馬鹿げたことでも信じてしまい、マスコミ非難に繋げてしまうのですから、

見上げた盲目ぶりと言えましょう。

やっていることは、マスコミの報じることをそのまま信じるのと変わりないのですが。

 

それでいて、ファクトチェックなどによって自らの信じていたことが誤りであったと

判明しても、自分に都合の悪いことは何事もなかったかのように無視を決め込み、

またぞろ次のゴシップに飛びついてはメディア非難を繰り返す。

これでメディア非難を徹底するならまだしも見所があるのですが、

たまにメディアが自分たちに都合のいい報道をしてくれれば、それにはあっさり乗っかる。

 

結局のところ、彼らはただ自分が見たいものを都合よくピックアップしているだけの

根無し草でしかありません。

いつまで経っても進歩せず、「呉下の阿蒙」とは、こういう人たちのことを言うのでしょうね。

 

「マスコミの報じる内容はもちろんのこと、ネットで流れてくる耳目を集めるような

見出しの記事は、一度足を止めて真偽をはかってみる」

たったこれだけのことですが、これを実現するにも、いくらかの知識や教養が必要です。

 

このご時世、それこそネットの海を泳ぎ回れば、知識や教養を学ぶことは難しくありません。

「呉下の阿蒙」が、教養を深めた末に「男子三日会わざれば刮目して見よ」という故事成語

生んだように、このブログを読んでドキッとした人がいれば、学ぶことを覚えてほしいなあと

思う今日この頃です。

 

ほな、また…。

 

 

 

 

東京競馬場に行ってきました。

こんばんは。すみだです。

 

9ヶ月ぶりに、競馬場、行ってきました。

10月からようやく一部入場再開となり、抽選に通れば現地に行けるようになっていたのですが、

その数はたった1000席程度でした。

過去には19万人入ったこともある場所に、1000人というのはあまりに寂しすぎたし、

抽選の壁も高すぎました。

11月になって当選枠が3,4倍に拡大したことで、やっと抽選に通りまして、

ようやく、ついに、現地に行くことができました。

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久しぶりの東京競馬場

ホントにね、冗談抜きで、入場した瞬間、泣きそうになりました。

9ヶ月もの間、どんなに来たくても来れませんでした。

用事があって府中を訪れたときに、競馬が行われていない日なのにもかかわらず、

競馬場の周りをひとしきり歩いたこともありました。

現地観戦の空気を愛しているゆえに、G1はおろか、平場の小さなレースでさえも

見に来ることができないのは、文字通り片肺を失ったような苦しみでした。

 

春を、初夏を、盛夏を、初秋を飛び越えて踏み入れたレースコースは、

晩冬とほとんど変わらずに佇んでいて、思わず万感の思いがこみあげました。

この日を、どれだけ待ったか。

ようやく、帰ってこれました。

 

秋空の下、これからどんなレースが見られるのでしょう。

無敗の三冠馬同士が激突するジャパンカップを、ここで見られればいいのですが。

明日は、そのジャパンカップや、暮れの大一番・有馬記念へのステップにもなる

G2・アルゼンチン共和国杯がここで行われます。

抽選通ってるので、見てきます。

 

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ヒーロー誕生の条件は、僕らの声援だ。

 

 

日記です(競馬とか)

なんにもすることがなくて暇な時、文章を書くといい具合に暇もつぶれるし、その頃の自分が何を考えていたのかが分かって後々楽しい、ということに2日前ぐらいに気づきました。すみだです。

 

今回は完全に日記レベルではあるので、軽い気持ちで読んでください。

 

いや~、コントレイルも無事無敗の三冠を達成しましたね。本当によかった。

ぼくのフォロワーで競馬を知っている人、やっている人は、ウマ娘クラスタを除けばかなり少ないですから、「またすみだの競馬話が始まったよ…」ぐらいにウンザリする人の方が多いでしょう。

でもね。今日ばかりは、この続きも読み進めてほしいんだ。

そして、出来ることなら、競馬への見方を変えて、少しでも興味を持ってもらえたら嬉しい。

 

競馬で言う「三冠」がどれほど難しいものか、知らない皆さんのために、改めて。

やきうで言うところの「三冠王」は、打率・打点・本塁打の3部門すべてでリーグトップの成績を叩き出すことです。歴代達成者は7人、延べ11回しか達成されていません。

翻って、競馬における「三冠」は、牡馬(オス馬)なら皐月賞日本ダービー菊花賞の3つを制すること、牝馬(メス馬)ならば桜花賞オークス秋華賞の3つを制することです。

「なんだ、たかが3つレース勝つだけやんけ」と思いがちですが、そうじゃない。

上に挙げたレースは、すべて「3歳の馬しか出走できない」という、大きな制約があります。

つまり、どんな馬にとっても、チャンスはその生涯でただ一度きり。

三冠王のように、二度・三度とは達成ができません。

だから、難しいんです。貴重で、そして偉大な称号なのです。

 

この「三冠馬」は、去年までの約80年で、何頭ぐらい出たと思いますか?

牡馬で7頭、牝馬で5頭です。

ほとんど同じぐらいの歴史の日本プロ野球の「三冠王」に比べれば、まあ出やすいかな…ぐらいでしょうか。

やきうの「三冠王」は世代も違う相手と成績を競わなければなりませんが、

競馬の「三冠馬」は同じ世代と競っての成績ですからね。多少は楽でしょう。

 

そんな三冠馬が、今年なんと、牡馬・牝馬の両方で誕生しました。

しかも、「無敗の」三冠馬です。

先ほど、これまでの三冠馬の数を挙げたと思いますが、こと「無敗」に限れば、

牡馬でわずか2頭、牝馬は0頭でした。

それが、同時に誕生したのです。

この後我々の人生数十年のなかでも、もう二度と見られない可能性の方が高いほど。

2020年は、間違いなく競馬史に残る、歴史的な年になりました。

 

 

こんな年に、「競馬を知らない、競馬にいいイメージがない」?

あまりにもったいない。

なにも、「ギャンブルをしろ、多額の金を賭けろ」と言うわけじゃない。

むしろぼくが言うなら、「競馬場に行け、金は賭けなくたっていい」です。

 

ぼくが競馬を語り、ぼくが競馬をすすめると、多くの人はまずこう言います。

「ギャンブルは…。やるべきじゃないよね」

「競馬ねえ…。賭け事じゃんね」

違うんだ。そうじゃないんだ。俺もそう思ってたけど、そうじゃないんだ。

そこに、騎手や、調教師や、厩務員さんや、何より馬自身の紡ぐ物語がきらめいている。

 

例えば、晴れて8頭目三冠馬、そして3頭目の無敗の三冠馬になったコントレイルのお父さんは、あのディープインパクト

ディープインパクト自身が、6頭目三冠馬であり、2頭目の無敗の三冠馬でした。

ディープインパクトのお父さんは無敗の三冠馬ではありませんでしたから、

当然、無敗の三冠馬父子というのは史上初になります。

そして今年、初めて無敗の三冠牝馬となったデアリングタクトという馬は、0歳の時の購買セールでの売れ残りでした。それが、史上初の快挙を成し遂げたのです。

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左:コントレイル  右:デアリングタクト


一方、史上初の無敗の三冠牡馬であったのは、シンボリルドルフという馬です。

その子トウカイテイオーは、無敗の二冠馬になりながら、ケガで三冠目のレースに出走できませんでしたが、テイオーの妹をおばあちゃんに持ち、テイオーと同じ牧場で生まれたのが、コントレイルと同じレースを走り、6着に敗れたロバートソンキーという馬でした。

ロバートソンキーは、テイオーとは違い、春に開催された二冠のレースには出走できず、

前走での頑張りによって、この三冠目のレースに出走することが叶いました。

まるで、29年前のテイオーの忘れ物を探しにきたようでした。

 

そんなロバートソンキーの馬主と調教師は、偶然にも開成高校の卒業生同士。

そして、調教師と騎手は、その昔同じ厩舎で一緒に頑張っていたなじみの仲。

この繋がりから、それほど目立った成績を残しているわけでもないこの騎手が、

馬主さんの愛馬に乗るようになり、ロバートソンキーと大舞台に臨むまでに至りました。

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ロバートソンキーと伊藤工真騎手

 

こんなドラマが、あちこちに、語り尽くせないほどに詰まっている。

それが、競馬というスポーツの醍醐味でもあり、ぼくが他人に競馬の面白さを伝える原動力です。

話半分にでも「聞きたい」と言ってくれれば、ぼくはいつでもエピソードを語りましょう。

稀代のアイドルホース・オグリキャップか。

悲劇の快速馬・サイレンススズカか。

愛すべき個性派・ステイゴールドか。

金色の暴君・オルフェーヴルか。

はたまた名脇役ツインターボなんてのもどうでしょう。

 

そしてぜひ、競馬場(できれば、JRAの…)に足を運んでみてほしいのです。

「ただのギャンブル場」では

決してない、壮麗な光景がそこにあります。

青い空、緑に映える芝、吹き抜ける風、サラブレッドの蹄音、行き交う人々。

ぼくが言葉を尽くして説明することもできますが、やはり行ってみてほしいし、

興味があまりなくとも、一度体感してみてほしいのです。

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ある日の東京競馬場

 

「所詮ギャンブルだし…。」

そう自分が言っていたことを、覆されるだけの魅力が、競馬場にはあると思います。

嫌な思いは絶対にさせません。

ほんの少しでも興味を持たれたならば、ぼくをいつでも呼んでください。

必ず、競馬場へお連れします。

 

 

 

やっぱり、競馬について書くだけでも楽しいですね。

ではまた、次の機会に。