ヴァーチャル・リアリティ

1ヶ月以上記事更新が空いてしまいました。すみだです。

この記事を読みに来るような人の99割はご存じだと思いますが、この1ヶ月は、

ずっっっっとVRChatを遊んでいました。

ブログを書こう、という気持ちはこの間つねに持ち続けていたのですが、

「この驚きをいかに言語化するか」がなかなか明確にならず、気づいたらVRChatにインして

時間が過ぎていたというわけです。だいぶ言い訳がましいですね。

 

そのようなわけで、今回は大きく三つの話題に絞って書いていきたいです。

●「どうしてVR・VRChatに手を出したのか」

●「VRChatを始めてみて、何が驚きだったか」

●「他人が始める姿を見て、何を感じたか」

では、まいりましょう。

 

 

●「どうしてVR・VRChatに手を出したのか」

 「ブイアール」という言葉の響き、どこか格好良くないですか?

という理由もある、と思う。

あるいは。

有史以来、人間は、「人間が人間である以上超えられない枷」を、技術を生み出すことで

いくつも超えてきました。

長距離を泳げなければ、船というものを作って海を渡りました。

空を飛べなければ、飛行機というものを作って空を渡りました。

声が遠くに届かなければ、手紙というものを作り、果てには電話やメールを生みました。

VRという技術は、人間の肉体そのものという枷にさえ、手をかけています。

まだまだこれからの技術ですが、その未知の可能性にきらめきを感じているから

という理由もあるでしょう。

 

ですが、一番大きな理由は、「VRChatを遊んでいる人がみんな、とても楽しそうだったから」

という理由にほかなりません。

VRChatはその名の通り、VRでチャットするだけのゲームです。極端に言ってしまえば、

アバターとワールドがついただけのDiscordみたいなものです。

それなのに、タイムラインで見かけるVRCプレイヤーの様子は、驚くほどに楽しそうなのです。

ネット世界とボなんとかに毒されて、すべての言説はまず疑ってかかるほどにスレた人間が

見ても、「これは本心だろうな」と思える楽しそうな様子。

見るたび、羨ましいと思うと同時に、自分の感覚との不一致をとても感じていました。

 

「多少没入感があるといえ、所詮画面の向こうで、それも普通に中身が男の美少女アバター

見て、話すだけで、こんなにも楽しそうになるのか?おかしくないか?」

 

楽しそうな様子と自分の感覚との不一致は、抗いがたい好奇心を呼び起こします。

 "Curiosity killed the cat."

こうして好奇心を持ってしまったところに、いささかばかりに悪質な、他人を沼に沈めて

ニコニコしているようなとあるVRCプレイヤーが、

「自分がPCパーツをアップグレードして余ったグラボや電源を寄贈するから、

それでPCスペックを強くしてやってみるといい」と9万円近いパーツを送ってくれました。

そこまでしてもらって、「やっぱりVRChatやりません」というのは寝覚めが悪い。

であればやってみようと、VR機器とオプションパーツを買ったのです。

これが、すべての始まりでした。

 

ちなみに前掲のVRCプレイヤーは、VR機器とPCパーツの価格に尻込みするぼくを見て、

「外堀を埋めれば罪悪感も働いて堕ちるだろう」と読んでパーツを送っていました。

善意はありがたいが、嗚呼、なんと邪悪なことか。

 

 

●「VRChatを始めてみて、何が驚きだったか」

VR機器を注文したはいいものの、届くまでにはラグがありましたので、この間に

VRChatをデスクトップモード(VR機器なしでも遊べるモード)で初体験しました。

驚きました。

現実の人が入ったアバターが動き、案内用のワールドがあり、きれいなワールドがあり、

買えば自分が着られる多種多様のアバターが存在している(しかも改変可)。

それまで知識としては持っていた内容であっても、肌身で感じると全く違う。

そして、現実世界と違い、人と人との距離感が初対面でも明らかに近く、警戒心が薄い。

アバターという仮面をつけるだけで、人間はこれほど好ましい方向に変わるのかと。

 

VR機器が届いて、いざVRモードでVRChatに飛び込んでみると、

そこには文字通り別世界がありました。

自分が腕を動かせば腕が動く、自分が上を見上げれば空が見えるという、

たったそれだけのことなんですが、それでも感じ入るものがありました。

そりゃあ、かわいくなりたくなるよね。あとはお察しの通りさ。

 

 

●「他人が始める姿を見て、何を感じたか」

ぼくがVRChatを始めてものすごく楽しんでいると、Twitterなどでその様子を見て、

興味を持ってくれる人が少しずつあらわれてきました。

そしてVR機器を買ってくれた人には、ぼくがそうしてもらったように、

はじめてのVRChatを案内したり、フレンドと引き合わせたりしました。

 

案内した人の反応や、その後を見守ることは、ぼくが当時感じたことが普遍的なものなのか、

それともぼくがちょっと変わっていたのかを判断するいい材料になります。

そうして見てみると、「やっぱりみんな同じなんだな」ということを感じました。

 

ぼくが最初案内してくれた人たちに感じたようなやわらかさが、

今度はぼくから新しい人たちに伝わり、彼らもまた、アバターを手にすることで、

現実世界で自分を守るためにつけていた心の殻を外していくのです。

気がつけばそこには、年齢も性別も関係ない、ただただフラットで、どこかふんわりと

温かいコミュニティが形作られていました。

それでいて、みんなが「Kawaii」のために日夜努力しているので、停滞したコミュニティでもない。

この居心地がたまらないんです。

 

あんなスラムみたいなゲームで年がら年中罵詈雑言を飛ばしていた人たちとは思えない。

けど、それがいい。

 

 

大まか、こんなところでしょうか。

一ヶ月分語りたいことを詰め込んだので、このブログで過去一に多い文章量に

なったかもしれません。

でも、どんなに語ったとしても、百聞は一見にしかずです。

興味を持ったなら、勇気を出して声をかけてみてください。

あなたを、メス堕ちきらめいて興味深い世界へとご案内します。

 

ほな、また…。